・・・・・・。
・・・。
ひんやりとした冷たい物がオレに触れてくる。
それは額に触れ、ゆっくりと頬に下りた。
「大丈夫・・・か?」
聞き覚えのある声が話し掛けてくる。
目を開けると、心配そうに覗き込んでくる不動の顔があった。
「急に気を失ったから・・・驚いた。あ、・・・まだ寝ていろ」
制止しようとする不動を振り切り、起き上がる。
「あ・・・痛ッ・・・」
体の節々が悲鳴を上げ、思わず声が漏れる。
そんなオレを見て、不動が申し訳なさそうに目を伏せた。
「すまない、・・・暴走した」
肩に置かれた手が小刻みに震える。
その様子が、オレを抱いた事に罪悪感を感じているように見えた。
そんな不動を見て、オレは説明の出来ない苦しさを感じる。
何で、謝るんだ。
どうして・・・。
「お前は・・・、オレを抱いた事を・・・」
後悔・・・しているのか。
途中まで言い掛けて、オレは口をつぐんだ。
不動の様子が今までと違うように見える。
すぐにオレは、自分のいる場所が床ではなくベッドの上だと気付いた。
不動は両手を拘束されているのにどうやって・・・。
そう思い、肩に置かれた不動の手首を見る。
「お前・・・、手錠は・・・?」
不動の手首は赤く変色してはいるものの、鉄の塊は存在していない。
不動は少し困ったように笑った。
「すまない、鍵・・・探して外した。アンタの体とか拭くのに邪魔だったから」
いつの間にか、服も新しい物に着せ替えられていた。
外された手錠はテーブルの上のノートパソコンと共に置いてある。
自由になった両手で、不動はオレを抱き締めてきた。
「あ・・・ッ」
息が止まる程強く抱き締められて、まだ敏感な体が震えた。
「好きだ。アンタの気持ちが何処にあっても俺は構わない」
たとえ、この想いがマヤカシだとしても・・・。
不動がオレを抱き締め、耳元で囁いてくる。
本当・・・に?
本当に、不動はオレを・・・?
オレは、不動の顔を見た。
お互いに見つめ合い、どちらともなく唇を寄せ合う。
ピー!ピー!
突然、甲高い警告音が部屋に響く。
オレは驚き、不動から体を離した。
何事が起きたのか・・・。
音の発信源を探すが、それらしきモノは見当たらない。
そんなオレを見て、不動はノートパソコンを開いた。
「・・・まずい。もう、ここがバレた」
画面を見て、不動は苛立ったように爪を噛む。
キーボードの上を指が忙しなく動く。
「そっちがそう来るなら・・・」
何か思い浮かんだのか不動の指が素早くキーボードを叩き、Enterキーを押す。
不動は視線を上げると心配そうにオレを見てきた。
「体・・・辛いと思うが、歩けるか?今、簡単な時間稼ぎをしたんだが・・・」
不動が一方的にオレに話し掛けてくる。
何を言っているのか分からない。
「何の話をしているんだよ?」
不動はノートパソコンの画面を見せてきた。
何かのカウントが画面上でされている。
「・・・デイビットがここの場所をつきとめてきた。アイツの情報網は半端じゃないから・・・」
それと、このカウントは何か関係があるんだろうか。
頭を傾げると、不動はオレの疑問に気付いたように笑った。
「これは、ウイルスの時限装置だ。ラブソフトに送りつけてやった」
今頃、ラブソフトは混乱している筈だ・・・と、不動が言った。
「このカウントをしている間だけ、一時的に全てのデータが隠される。イーサーネットで繋いである端末だけに有効なんだがな」
「それが・・・何か関係あるのか?」
不動は頷いた。
「今、捕まればアンタもタダじゃ済まない。下手すると、殺される。・・・デイビットは怖い男だ」
不動の言葉に、心が騒いだ。
あの男はオレを裏切った挙句、殺そうとするのか・・・。
酷い裏切りだ。
・・・。
・・・・・・。
いや、最初に裏切ったのはオレか・・・。
自嘲の笑みが口元に浮かぶ。
「ラブソフト全体を混乱させれば、デイビットも足止めされる。今、あの会社にこのウイルスを止められる奴はいない」
自信に満ちた不動の笑顔。
ここ数日間、不動がノートパソコンに向かい作っていたのは、このウイルスだったのか・・・。
「もう、時間はない。・・・行こう」
手を差し出される。
オレはその手を取り、足を踏み出した。
外に出ると、もう陽は落ちていた。
どうやって逃げるんだろう・・・。
そう思い、不動を見るとオレが安心するように穏やかに微笑まれた。
突然、目の前に見覚えのある鍵を差し出される。
それは・・・。
オレの車のキー・・・。
不動が車の場所まで連れて行くように促してきた。
用意周到な奴・・・。
今更ながら、不動の頭の回転の速さに驚かされる。
オレたちは、しばらく乗っていなかった車の元へと向かった。
不動が当然のような顔をして、運転席に座った。
免許証を持っているのかと聞くと、国際免許証を持っていると言われた。
不動は慣れた手つきで車を発進させた。
数分も走らないうちに、遠くで車の急ブレーキが聞こえる。
フロントミラーを見ると黒いスーツを着た男たちが何かを叫びながらアパートへ走っていく姿が見えた。
ホッとしたように不動が息を吐く。
しばらくお互いに何も言わず、流れる風景を見ていた。
「俺は・・・昔、ハッカーだった」
どれくらい走ったんだろうか。
誰に言うでもなく、外を眺めたまま不動が小さく呟いた。
オレは不動が何かを吐露しようとしていると感じ、黙って顔を見る。
「当時貧乏だったから、金を稼ぐ為に裏の仕事に手を出した。大金は手に入るし、知的欲求も満たせて最初は楽しんでいた・・・。けど、徐々に犯罪行為だと気付いて怖くなって・・・でも抜け出せなくて・・・」
一息吐いて、不動は穏やかに話し始めた。
「そんな時・・・デイビットと俺は出会った。真っ当な職業に就かせてやると言ったアイツは俺にプログラマーの仕事をくれた。あのラブソフトの社長がまさか俺みたいな犯罪者を雇ってくれるなんて思ってもいなかったから嬉しかったな・・・」
「不動・・・」
「それから俺は真面目に働きだしたんだが・・・ある日、俺はデイビットから前のメインプログラマーが死んだから昇進だと言われた。とても健康的な人だったから事故で死んだんだろうとその時は何も疑問に思わなかった」
だが真実は・・・と不動が語り出したのはオレがデイビットから聞いた話と同じだった。
アイツが言っていた不動遊星の話は全部、前のメインプログラマーの事だったのか・・・。
そして暴走しだしたソイツをカイザーが・・・。
「デイビットのパソコンの中を間違って開けてしまって、俺はその事実を知ってしまった・・・。しかもアイツは今度は俺を代わりにしようとしているんだと分かって・・・」
不動はギリッと音が鳴る程強くハンドルを握った。
「俺はもうハッカーに戻りたくなかった。傷つける事しか出来ないあの頃の俺に戻りたくなかった!でも・・・デイビットに逆らえばどんな目に遭うかと考えるとどうする事も出来なくて・・・」
悲しそうに言葉を吐く不動・・・。
オレはその頬にそっと手を伸ばして触れた。
「けど、アンタと出会って過ごすうちに俺は思ったんだ。この人を守る為には俺の力を最大限に活用しないといけない、と。デイビットの手から一緒に逃げる為にもう一度ウイルスを作ろう、と」
不動がハンドルから片手を外し、オレの手を握る。
「アレを作っていて本当に良かった。・・・アンタを守れて、・・・本当に・・・」
ウイルスは作ってはいけないモノ・・・。
だけど・・・
「誰かを守る・・・その為に俺はあのウイルスを作った。そう考えれば、気持ちも軽くなる」
「不動・・・」
「アンタと会えて、俺はデイビットから逃げる事が出来た。自分の力と・・・向き合う事が出来た・・・」
強く手を握られる。
冷えた不動の手が、心地良く思えた。
「俺は、アンタを一人ぼっちにさせない。だから・・・、一緒に傍にいて欲しい」
不動の言葉に胸が痛い程ざわめいた。
オレは、不動の手を強く握り返す。
不動がオレの顔を見つめてきた。
「死ぬ時も・・・、一緒だって誓うか?」
オレの言葉に一度目を見開き、不動はすぐに頷く。
「誓う。・・・死ぬ時も一緒だ」
・・・本当に?
もう二度と、置いて逝かれるのは嫌だ。
ずっと傍にいて欲しい。
あんな辛い思いは、もう二度としたくない・・・。
真っ直ぐな不動の瞳が、嘘ではないと言っている。
オレたちはお互いに手を握り合い、唇を重ねた。
デイビットから逃れる為に、オレたちは空を飛んだ。
知らない土地、知らない生活習慣。
何も分からないまま、オレは遊星が求める至福の場所を探した。
イギリス ランズエンド
風が強い。
流れる髪を押さえながら、オレたちは遥か下にある海を見ながら歩いていた。
荒々しい波が崖にぶつかっては砕け散っていく。
「まるで、世界の果てのようだな」
遠くを見ながら遊星が呟く。
オレは無言で頷くと、繋いだ手を強く握った。
煽るような風が、遥か下にある筈の波を連れてくる。
滴が頬に当たり、潮の香りを一層強く感じた。
その後、ラブソフトに未知のコンピューターウイルスが届けられた。
全てのデータをコンピューター上から消滅させ、抽出も不可能な状態にする。
回避方法は一切ない。
成す術もなく、ラブソフトは壊滅状態に追いやられた。
昼夜を問わず、テレビがそう報道していた。
「お前が・・・やったんだろ?」
テレビを見ながら、オレは隣に座る遊星に聞いた。
ノートパソコンを相手に、真剣な表情をしていた遊星のキーボードが止まる。
遊星はオレの質問に・・・曖昧に微笑んだ。